大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和59年(ワ)1186号 判決 1986年7月25日

原告 株式会社 芳賀書店

右代表者代表取締役 芳賀章

右訴訟代理人弁護士 若梅明

同 岡本好司

被告 有限会社 武蔵屋商店

右代表者代表取締役 真弓政雄

右訴訟代理人弁護士 鈴木宏

主文

原告の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

一  原告

(主位的請求)

被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の袖看板(以下「本件袖看板」という。)を撤去せよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

(予備的請求)

被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、本店所在地に自社ビルを所有して、書籍の出版販売を業とする会社であり、被告は、原告の社屋の西隣りで文具販売を業とする会社である。

2  原告は、昭和五三年九月二二日建築確認を受けて、前項の自社ビルの建築に着手し、昭和五五年六月二〇日ころ、地上七階建ての店舗ビル(以下「原告ビル」という。)を竣工させた。

原告は、右ビルの北西角の道路上空部分に、上部には社名を表示した袖看板(以下「上部袖看板」という。)を設置し、下部には、設置費用二〇〇万円を支出して、販売品目を表示した別の袖看板(以下「下部袖看板」という。)を設置した。

3  被告は、昭和五七年一一月ころから、原告ビルの西側隣地に自社ビル(以下「被告ビル」という。)の建築を開始したが、昭和五九年二月過ぎには、前項の原告の下部袖看板に密着させて、被告ビルの北東角の道路上空部分に、本件袖看板の設置をした。

4  原告の下部袖看板は、靖国神社方向からも十分見通しのきくものであったから、顧客及び一般来訪者に対する宣伝広告用看板として営業上重要な意味をもっていた。

ところが、被告が設置した袖看板は、原告の下部袖看板に重なり、かつ密着して、原告の下部袖看板を遮へいし、その効用を喪失させ、原告に営業上多大な不利益を被らせている。

5  被告ビルは、専大交叉点の角地に位置し、袖看板の設置可能場所としては、現在の位置のほかにも、交叉点の角にあたる被告ビルの北西角及び竹橋方面寄りとなる被告ビルの南西角があり、前者は袖看板の設置場所としては現在の位置より秀れているし、それらの位置に設置することは容易である。被告は、旧店舗の当時には、交叉点の角にあたる北西角を諸看板の中心としていたのである。

人口が密集し、高層建物が近接する都市においては、後発的に袖看板を設置しようとする者は、既に設置され又は設置が予定されている先発ビルの袖看板を遮へいしない場合にこれを設置すべきものであり、他に設置可能な場所がないときは袖看板設置によって不利益を受ける者と話し合いのうえで必要最少限の設置方法を講ずるのが相隣関係における法律上の義務であり、仮に法律上の義務ではないとしても、近隣者の道義であり、慣行である。

被告は、右義務に反し、故意に原告の袖看板に損害を与えることを企てて、本件袖看板を設置したものであり、そうでないとしても道義及び慣行に反して権利を濫用したものであって、被告の右行為は原告の所有権及び営業権侵害の不法行為となる。

よって、原告は、被告に対し、主位的に、建物所有権及び営業権に基づき、被告の袖看板の撤去を求め、予備的に、不法行為による損害賠償請求権に基づき、二〇〇万円及びこれに対する請求変更の準備書面の送達の翌日である昭和六〇年六月八日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告の下部袖看板設置時期は昭和五八年九月であり、設置費用の点は知らない。その余の事実は認める。

3  同3の事実のうち、被告ビルの建築開始時期は昭和五八年二月である。

4  同4の事実のうち、前段の事実は認める。後段の事実のうち、原告ビルの下部袖看板と被告ビルの袖看板が相互に遮へいする関係にあることは認めるが、その余は否認する。

5  同5の前段の事実のうち、被告ビルが専大交叉点の角に位置することは認め、その余は否認する。中段及び後段の主張は争う。

6  被告は、原被告のビルが位置する靖国通り周辺の市街地再開発進行に伴い、木造の旧店舗を商業ビルに建て替えることを計画し、商業性、ファッション性を兼有する設計を依頼し、その結果、ビルの角がR型構造をもち、外装タイルの色相を階ごとに変化させた現在の被告ビルを建築した。被告ビルは、三階ないし七階がテナント階であるため、テナント名を表示する袖看板を設置することが不可欠である。

被告は、このようなビルの形状や交通量、視野等を考慮に入れたうえで、昭和五八年五月、現在の位置に本件袖看板を設置することを決定したが、この設置位置には、二階建の旧店舗当時にも被告の袖看板が設置されていた。

また、右五月当時、原告ビルには、その三階部分から七階部分までに長さ約一五メートルの上部袖看板が設置され、「芳賀書店HAGASHOTEN」と表示されていたが、その下部には袖看板が設置されていなかったので、被告は、同年五月、現在の袖看板の高さに袖看板取付け用アンカーを設置し、その後、昭和五八年九月、被告が原告代表者に袖看板設置計画の説明をした際、原告代表者から、原告の二つの袖看板の存在が判るようにしてほしいとの注文があったので、被告は、袖看板の取付け位置を少し上方にずらし、原告の下部袖看板の下部に設けられている原告の社章を見通せるよう、そして原告の既設の袖看板の効力を損わぬよう、設計を変更して、高さ七・二メートルの本件袖看板を設置した。このように、被告としては、隣人として誠意を尽くしたもので、故意に原告の袖看板を遮へいして損害を与えようとしたものではなく、権利の濫用には当たらない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  原告が、昭和五三年九月二二日建築確認を受けて、請求原因1の自社ビルの建築に着手し、同五五年六月二〇日ころ竣工させたこと、原告が右ビルの北西角の公道上空部分に、上部には社名を表示した上部袖看板を、下部には販売品目を表示した下部袖看板をそれぞれ設置したことはいずれも当事者間に争いがなく、被告が、原告ビルの建築に遅れて、原告ビルの西隣りに自社ビルの建築を開始し、昭和五九年二月ころ、被告ビルの北東角の公道上空部分に原告の下部袖看板に密接させて本件袖看板を設置したことを被告は明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

また、原告の下部袖看板が靖国神社方向からも見通しのきくものであって、原告の営業に関する宣伝広告用看板として重要な意味をもっている事実は当事者間に争いがないし、被告の本件袖看板が靖国神社方向からみて原告の下部袖看板を遮へいし、その限度で効用を喪失させるに至った事実は、弁論の全趣旨上当事者間に争いがない。

三  そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  原告ビルの公道沿い外壁西端には、袖看板取付用の腕が七個、(外観上の)三階から(外観上の)九階までの各階に相当する位置に設けられている。

2  昭和五五年六月二〇日ころの原告ビル竣工の時点で、(外観上の)八階部分から(外観上の)五階部分までの右取付け用腕を利用して、原告の上部袖看板が取り付けられた。

この時点では、被告所有の木造二階建旧店舗が原告ビルの西隣りに存在しており、その公道沿い外壁の東端には片面に「三菱万年筆」、他面に「三菱ボールペン」と商品名を表示した袖看板が取り付けられていた。この袖看板の上下の長さは約二・五メートルで、その中央部が被告ビルの最下部の取付け用腕の高さに相当していた。

3  被告は、昭和五七年に被告ビルの建設を計画し、同五八年二月ビル本体の建築確認を受けて、建築工事を進め、同年五月には本件袖看板取付けのためのアンカーをビルの東側外壁の公道寄り部分に設置した。

その後の同年八月末ころ、原告の下部袖看板が取り付けられた。

4  被告は、本件袖看板について、昭和五八年一〇月二八日東京都第一建設事務所長から道路占用許可を、同月二九日付で神田警察署長から道路使用許可を、それぞれ受け、昭和五九年一二月から同六〇年二月の間に本件袖看板を設置した。

5  被告の袖看板は公道上に一メートル突出しており、地上三階部分から五階部分までの取り付け用アンカーを使用して、地上六・四メートルの高さから一三・六メートの高さまでの間に設置されている。

一方、原告の下部袖看板は、地上五・四五メートルの高さから同一一・七五メートルの高さまでに位置しており、その最下部に「H」の字を図案化した原告のシンボルマークが白地に黒色で浮き出ているほか、その上部には「ADULTGRAPHICS」の文字が墨色の地にオレンジ色で表示されている。

原告ビルの外壁と被告ビルの外壁との間隔は公道沿いの一階部分において約二五センチメートルである。その三階部分における両ビルの外壁の間隔は一階部分のそれよりはやや広いが、本件袖看板は原告の下部袖看板と密接した状態にあり、本件袖看板は、靖国神社方向からみて原告の下部袖看板の文字を覆い隠し、原告のシンボルマークだけが見える状態となった。

6  原告ビルと同位置にあった原告の旧建物は、木造二階建てで、その公道沿いの二階外壁西端には、被告の旧建物に接して、原告の商号を表示した袖看板が存在したが、右袖看板は前述の被告の旧建物に取り付けられていた袖看板と一部重なり合うところがあり、神保町方向からみると、被告の袖看板の下部約三分の一を覆い隠していた。

7  被告は、昭和五八年九月上旬、原告代表者に対し、本件袖看板の設置について、取付け位置を記載した図面を提示して、説明し、了承を求めたが、原告代表者は、右袖看板が取り付けられると原告の下部袖看板が遮へいされることを理由として、右申入れを拒絶した。

以上のとおり認められる。

四  原告の下部袖看板は、建物の構成部分ではないが、腕によって原告ビルに堅固に取り付けられ、常時原告ビルの利用上の便益に供せられるものであるから、不動産に附加して一体となったものとして、原告ビルの一部分とみることができる。そして、右袖看板は、前敍のとおり私有地上ではなく公道の上空部分に存在するものであるが、被告の本件袖看板と同様に道路占用許可及び道路使用許可を受けて設置されていると推認できるから、右各許可が存在する限り、右下部袖看板は、その占める空間を利用し、効用を完うすることについて私法上保護されるべき利益を有するものというべく、右利益の侵害に対しては所有権に基づく妨害排除請求権が成立しうるということができる。

そこで、本件において、原告に被告の本件袖看板に対する撤去請求権が成立するかについて検討するに、前記三で認定した事実関係によれば、原告の下部袖看板と被告の本件袖看板とは、各々等しい高さにある部分において相互に相手の袖看板の効用を害する関係にあることが明らかで、被害は相互的に生ずるものであるから、特別の事情のない限り、当事者のいずれか一方のみを加害者と定めることはできないものであり、当事者の一方から他方に対する撤去請求は原則として成立しないといわなければならない。

原告は、原告が既に設置した袖看板に密接して、その効用を害することとなる袖看板を被告が後れて設置することは許されないと主張する。

しかしながら、前認定のとおり、被告も道路占用許可及び道路使用許可を受けて適法に本件袖看板を設置することができる地位にあるのであって、当事者の利害の公平な調整を目的とすべき相隣関係において、先着手者に優先権又は既得権を認むべしとする法律上の根拠は見出し難い。もちろん、後れて着手する者の行為が、合理的な理由又は必要もなく、先着手者に損害を加える目的のもとになされるような場合については、権利の濫用として、右行為の禁止ないし妨害排除を認めることも可能ではあるが、次に述べるとおり、本件は右のような例外の場合には当たらないというべきである。

五  原告は、被告ビルには他に袖看板の設置が可能な位置があり、そこに設置することは容易で、設置による効用も現位置よりすぐれること、原告の下部袖看板が営業品目を表示しているため、本件袖看板による営業上の不利益が大きいと主張し、被告の本件袖看板設置行為が近隣の慣行及び道義に反する権利濫用の行為であると主張する。

たしかに、《証拠省略》によれば、被告ビルは専大交叉点の南東角に位置しており、建物の北側は靖国通り、西側は後楽通りに面しているので、袖看板は被告ビルの北西角及び南西角に設置することも不可能とはいえないことが認められる。

しかしながら、《証拠省略》を総合すれば、人通りは後楽通りよりも靖国通りの方が多く、三階から七階までを賃貸ビルとして利用することを予定した被告ビルも、建物の正面を靖国通りに向けており、被告ビルの一階から九階に至るまで靖国通りに面する側(北側)に開口部を広く設けているのに対し、後楽通りに面する側(西側)には、採光のための小さな開口部を設けているにすぎず、壁面のほとんどが外壁であること、したがって貸ビル部分の入居者のための袖看板は靖国通りに面する側に設置することが必要であること、被告ビルが交叉点の角に位置し、かつ被告ビルの北西角は敷地の形状に合わせて約一一〇度の角度をもつため、被告は、建物躯体の北西角を削り丸味を帯びた構造としたうえ、外壁のタイルの色調も一階から九階にかけて濃いオレンジ色から淡いオレンジ色に徐徐に変化させたものとし、美観に配慮した建物としたこと、そして本件袖看板を被告ビルの北西角に設置すると右の美観を損うことが認められるのであって、被告が本件袖看板を被告ビルの北東角に設置したことには十分な理由と必要があったものといえる。

原告は、被告が原告に損害を生ぜしめる目的で、現設置場所に設置する必要がないのに、故意に現在位置に本件袖看板を設置したと主張するけれども、その事実を認めるに足りる証拠はない。

原告は、既設の袖看板に密接して袖看板を設置しようとする者は、事前に話し合いのうえで必要最小限の設置方法を講ずるのが相隣関係における法律上の義務であり、近隣者の道義及び慣行であるとも主張する。

しかしながら、被告が本件袖看板設置に先だち、原告に対し設置方法を説明して了承を求めたことは前記三7で認定したとおりであるのに対し、ビルを先に完成させた原告が、その袖看板設置位置について被告に説明し、事前の了承を求めた事実を認むべき証拠はなく、更に、《証拠省略》によれば、原告ビルの東隣りには山本書店の五段建ビルが存在するが、同ビルの袖看板はビルの北東角に設置され、北西角には二階部分に地下鉄への入口を表示する袖看板があるだけで、それより上方には袖看板がなく、原告ビルの袖看板を北東角に設置することには何の障害も存在しなかったことが認められる。

してみると、つまるところ、原告は、先に袖看板を設置した者が優先権又は既得権を与えられるべきであることを主張するにほかならないのであって、右の主張を採用できないことは先に述べたとおりであるし、前記三の2及び5で認定したとおり、原告ビルには上部袖看板及び下部袖看板が存在する結果、被告ビルの袖看板の取付け高さをどのように設定しても、原告ビルの二つの袖看板のいずれかの見通しを妨げることになることは避けられないうえ、《証拠省略》によれば、原告ビルは神田書店街の西端に位置し、靖国通りの人の通行は神保町方面から専大交叉点に向かう流れがその逆の流れよりも大きく、原告の下部袖看板は神保町方向からの見通しを妨げられることがないことが認められるから、原告ビルの袖看板の靖国神社方向からの見通し阻害による被害は、その逆の側の見通しが阻害される場合に比較して少ないのである。

更に、前記三の6の事実によれば、原告の旧建物の袖看板と被告の旧建物の袖看板とは、一部重なり合って相互に見通しを妨げ合っていたのであり、被告の旧建物の袖看板がそのまま残存していたとすれば、原告の本件袖看板とも同様の関係になったものであって、その場合には、原告の下部袖看板の方が被告の旧建物の袖看板に対して不法行為性を云々されかねない立場にあったのである。

以上に判示した諸事情に照らすと、被告の本件袖看板設置が近隣の道義及び慣行に反し権利の濫用にわたるものということはできないといわなければならない。

六  以上によれば、原告の被告に対する袖看板撤去請求は、所有権及び営業権のいずれを理由とするものも失当といわなければならないし、原告が予備的に求める不法行為に基づく損害賠償請求についても、被告の袖看板設置を許すべきでない法律上の根拠が見当たらず、これを故意による不法行為ということも権利の濫用ということもできない以上、失当として棄却すべきものである。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲守孝夫)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例